「組織のなかで大きなビジネスをする」という魔力に毒される弊害とは?

「組織のなかで大きなビジネスをする」という魔力に毒される弊害とは?

よくさ、個人事業主や零細企業オーナーに対し、「小さなビジネス」であることをバカにしたり、批判する声を聞いたりするんだ。

(だいたいそれを言うのは「サラリーマン」が多いんだけどな…)

「大きなビジネスに携わることこそ、正義である」と。

労働卒業めざし、マイビジネスを持ちたいひとのなかには、そんな声に萎縮してしまうひとが出るかもしれない。

ただ、その批判はまったく的を射てないから、気にすることないぜ。ってハナシ。

今日もよろしくね。

さて、なんで気にしなくていーのか?それは、

①大きなビジネスモデルに組み込まれ、歯車になること
②小さなビジネスモデルをじぶんでつくり、持ち主になること

この2つを比較したとき、①のほうが圧倒的にコスパがわるいから。


たしかに「だれかにじぶんの仕事を語るとき」には「大きなビジネス」を語れたほうがいいかもしれないね。

みんな知ってるだろーしさ。インパクトもある。

でも、結局。ビジネスってのは「持ち主」じゃなきゃほとんど意味ない。

「儲ける」のが目的なら。

これは大前提中の大前提。冒頭の「批判」は、この大前提を無視してるから、無意味。

この資本主義ゲームで「儲かるひと」は、ほとんど知られていない小さなビジネスだとしても「そのビジネスの持ち主」だよ。

逆に、どんなに大きなビジネスであっても、じぶんが「歯車」の時点で「たいして儲からない」。

そんな仕組みになっちゃってるんだよね。

「俺は、こんな大きな仕事をしている!」って自負には(そこに組み込まれたパーツの1つだけど)って注釈がつく。

それは、ぜんぜん儲からない。

んで。

「ビジネスの持ち主が儲かるのはわかった。しかし、小さなビジネスよりも、大きなビジネスの持ち主が1番儲かるだろう。そうなれる可能性があるのは、いま大きなビジネスに携わってる者だ!」

っつーのも、違う。

既にある大きなビジネスに、あとから入り込んでトップをとったり、所有権を獲得するのは圧倒的に難しい。

つーか、ほぼムリ。

だいたい、大きなビジネスの所有権は、今の持ち主の親族やら、創業メンバーのなかの若い子やら、そのへんがとる。

どんな優秀でも「歯車」って入り口の時点で、持ち主には(ほぼ)なれない。


それよりも「小さなビジネスで、まずトップになり、所有権を保持した状態で大きくしていく」ほうが、難易度はひくいよ。

世にひろく価値を与える「大きなビジネス」という魔力に毒されず、「じぶんは、儲けるためにどう立ちまわるのが最も合理的か?」という観点で行動しよーぜ。

これマジ。