「労働卒業」をめざす意味とは?

「労働卒業」をめざす意味とは?

なんで「労働」を卒業すべきなのか、それにはシンプルすぎる理由があるんだ。

ただ、その結論を言うだけじゃあまり意味がないかな。

今日は、すこし興味深い事例があったのでそれをもとに書こうとおもう。


まぁ最終的には「時給」って概念自体があまりよくないモンなんだけど、わかりやすいから時給で例をだすね。


サラリーマンの時給の最高額って、みんな知ってる?

「時給が高い会社」ってランキングの1位の企業で「7968円」。

※2018年11月時点

スーパーエリートサラリーマンで、およそ時給8000円ってこと。

かたや、事業家。

彼らの稼ぎを時給に換算したとき、10万20万って数字でも「とくに多くない」。

マジだよ、コレ。

サラリーマンは「安全」だの「保証」だの言ったって、「10倍以上カネ持ってる」ほーが安全に決まってるよな

これって「プレイヤー能力の差」だとおもう?

絶対ちがう

だって「スーパーエリートサラリーマンになる」ってハードル、めちゃくちゃたかいもん。

成功してる事業家になるハードルよりも、ヘタすりゃ高いことすらある。


そもそも、ひとの能力が何十倍も差がつくとも思えないしね

じゃあ、サラリーマンと、成功してる事業家は、なにが違う?

立ち位置

だけ。

ほんと、そう。

もっと言うと、じぶんの限られた「エネルギー」を「何に」変換して「どこで」売ったか、の違い。

それだけだよ。

スーパーエリートサラリーマンは「労働」に変換して「サラリーマン市場」に売った

成功してる事業家は「商品」に変換して「いまひとが集まってる市場」に売った

このちがいが、カネにすると「数十倍」の差をうむ、謎仕様のゲームなんだ

資本主義って


だから、「労働卒業」しよう。

立ち位置を変えるだけで、数十倍のリターンが得られる手段を目指さない意味は、ないよな。

コレマジ。