資産の森をつくるゲームにおいて「労働力の種」を植えることの役割とは?

「資本主義ゲーム」は、言い換えると「資産の森をつくるゲーム」といえるよね。


じぶんの土地で「資産のなる木」を育てる。


「木」は、いずれ「実」をつける。

「実」から「種」を抜きとり、植える。

その「種」に「水と栄養」を与える。

あらたな「木」が育つ。

これを繰り返せば、最後には「森」になる。

おおきな「森」を持つプレイヤーは、たくさんの「実」を収穫でき、「強く、豊か」だ。


これで、資産の森をつくるゲームを攻略したといえる。

と、こんなカンジで。


さて。

それがセオリーとわかったとしても、一筋縄じゃいかねー。

なぜなら、ニューゲームで参加したプレイヤーの大半が与えられるのは「まっさらな土地」と「労働力の種」だけ、だから。


どうするか。

まず、労働力の種をじぶんの土地で植えてみる?


しかしここでも、いっこ問題がある。


「水と栄養」がないのだ。タダじゃないからね。

くわえて、プレイヤー自身も「実」を食わないと死んでしまう。

やべー。


で、ここで、多くのプレイヤーはどうするか。

他人の土地へ行く。なるべく大きく森にね。

森をもつ者の名は「森オーナー」としよう。


プレイヤーは森オーナーにこう言う。

「オレ、この種しか持ってないんだけど、なんとか植えさせてもらえませんかね」


このとき、森オーナーからプレイヤーに突きつけられる「条件」は?

①プレイヤーが死なないだけの「実」を与える
②プレイヤー持ちこんだ種に「水と栄養」を与える
③プレイヤーの持ちこんだ種が育って木になったとき、つけた「実」はすべて森オーナーのものとする

コレ。

なるほど。と、プレイヤーは考える。

「ここにいりゃ、いーじゃん」

「実」は与えてもらえるし、じぶんがもってた「種」は育って「木」になるし。

よっしゃー。


しかし。この森オーナーが出してくる条件には、2つ。

プレイヤーにとってのデメリットが隠れてる。


1つめのデメリットは?

たしかにプレイヤーは森オーナーから「実」をもらえるが「死なない程度」の量しかもらえないこと。


2つめのデメリットは?

プレイヤーの持ちこんだ「種」が育った「木」が新たにつける「実」は森オーナーのもの。

つまり、その実からとった「種」を育てることで増える「木」になる「実」がすべて、森オーナーのものになる。


つまり、どーゆうことか。

プレイヤーは、いつまでたっても「死なない」だけ。

大量の「実」を獲得することも、じぶんのまっさらな土地に「森」をつくることも、できない。


すなわち「強く、豊か」なプレイヤーには、なれないのだ。



さて。ここで質問しよう。

資本主義ゲームにおける「労働」の役割は?


労働というのは。

じぶんが、ニューゲーム時にもつ数少ない種のひとつである「労働力の種」を、「会社という森」に植えること。


会社という森に植えた「種」には、「水と栄養」が与えられる。

「労働力の種」の場合、「水と栄養」に該当するのは「経験と失敗」だ。

ビジネスの運用に携わる経験と、大きな金を動かしてする失敗。

これらがあれば、「労働力の種」は「労働力の木」に育つ。


で、ここで目線を「じぶんが、強く、豊かなプレイヤーになる」ってことにフォーカスすれば、とるべき手段は、じつは1つしかない。


「じぶんの労働力の種が、労働力の木になったところで、じぶんの土地に労働力の木を植え替える」

コレだけ。


つまり、資本主義ゲームにおける「労働」の役割は「じぶんのもつ労働力の種を、労働力の木にする」ことだ。

労働力の木に「実」がなるようになってしまえば、他人の土地に植えておく必要はない。

じぶんの土地で「実」をつけ、そこから「種」をとり、じぶんの土地でさらに種を育てればいい。


大丈夫。このとき、ニューゲーム時には取れなかった手段が2つとれるようになっている。

①じぶんの土地で「労働力の木」がつけた「実」を食べる
②じぶんの土地で「労働力の木」がつけた「実」で「水と栄養」を買う


うむ。

ようやく、セオリー通りゲームを進められそうだ。


結局、資本主義ゲームで他人の労働に従事するのが有効なのは「労働力の木」を獲得するための「水と栄養」を得ることと「その間、生きながらえること」のためだけだ。

ニューゲーム時の「なにもできない状態」から「攻略セオリー」の流れに乗るまで。


じぶんの労働力の種が、労働力の木になったなら、すぐにじぶんの土地を開墾しよう。




これマジ