検索の機会をへらす「レコメンド」って?

ITやWEBの世界には「レコメンド」って横文字があるんだけど、コレ、なんだ?

カンタンに言うと「システムからのおすすめ」だな。

・あなたへのおすすめ
・おすすめユーザー
・この商品を見たひとはこんな商品も買ってます

みたいなヤツ。見たことあるべ。

これがレコメンド機能。

で、システムはなにも、”闇雲に”おすすめしてくるワケじゃねー。

「みんなの行動の歴史」を、集めて、分析して「このひとはこーゆうのが好きだろう」つって、おすすめしてくるんだ。

ボタンを押した、アクセスした、買った、等々…

そーゆうシステムを使った歴史から、おすすめを決めてる。


さて。

そもそも、結構まえから「おすすめ」自体はある。

レコメンドの歴史はそこそこ長い。


だからみんな、横文字を使われなければべつに「そんなんよくみるヤツじゃん」ってカンジだと思うんだけど。

なんであえてレコメンドを今日のテーマにしたかっていうと、ここ最近、レコメンドの大きな変化を感じるから。


その変化は、ざっくり2つ。

①おすすめの精度がめっちゃあがった
②おすすめされる情報のフォーマットが変わった

と。

ピンとくるひともいるかもな。


まず①だけど、昔と比べて「ぜんぜん興味ない」ことをおすすめされることって減ってない?

Twitterにしろ、youtubeにしろ、Amazonにしろ、一昔前なら「なんでこんなモンおすすめしてくるんだ」ってことが多かった。

でも、今はすごくじぶんの興味にあったものを、おすすめしてくる。


で、②についても。すごく進化を感じるぜ。

Googleで検索したとき、明らかに「動画」が検索結果に含まれることが増えた。

これも、検索したユーザーに対する一種のおすすめだ。

「このキーワードをつかうユーザーが求める情報」のおすすめとして、webサイトのURLだけでなく動画を含むようになったと。


レコメンド、めっちゃ進化してていいカンジじゃん。


じゃあさ、この2つの変化はなにを示唆している?


オレは「受動的に大容量データを消費する人間の増殖」だと思うんだよな…

レコメンドの進化は好ましいけど、それによる人間の行動の変化は、いいことばかりじゃなさそうってことだ。


まず、自発的に「検索」する機会は減るよな。

だって、システムにおすすめされたものを消費してれば、それだけでどんどん時間は過ぎる。

そーすると、「自発的に解決したい疑問」は産まれにくくなる。


例えば、友達と遊びに行ったとき。

「どこでメシ食う?」

「スマホに聞くか」

ってのが最近のメジャーな流れかと思う、

でも、レコメンドがこのまま進化を続けるとどうなるか。

わざわざ「このちかくのおいしいお店」って検索しなくても、「この近くにはこんなお店があります」って、スマホが勝手におすすめしてくる。

そうなると、おすすめしてきた中から店を選ぶよな。

システムが、じぶんのことをよく知っていて「検索する」って行為を不要にしてくれるんだ。

で、かつ「おすすめしてくる情報」は大容量データになっていく。どんどん。動画は序の口。

これならさ、もーじぶんの頭を使わなくてもいいよな。

なんたって大容量データにはたいがいのものが含まれてるからね。


人生、システムにおすすめされる大容量データを消費してれば、わざわざじぶんの頭で考える必要はほとんどない。


さて。

これらのことは、何につながる?

「生産するひと」と「消費するひと」の格差の拡大だ。


生産するひとは、「おすすめされる大容量データ」をつくることに全身全霊を捧げるようになる。

データの容量がデカいってことは、つくるのも大変だ。

その過程で生産者の能力はどんどんアップしていく。


じゃあ、消費するひとは?

自発的に何もしなくても「じぶんの嗜好にあったものをおすすめしてくるシステム」に従っていれば、楽しい。

で、データがでかいから「じぶんのアタマを使わなくても、正解に辿りつける」。

その過程で「生産の必要性と、そのための能力」はどんどん落ちていく。


これが、「生産格差」の広がりのはじまりだ。


ひるがえって、資本主義。

資本主義で勝つにはなにが必要か?

それは「マイビジネス」だ。

ビジネスには、最重要項目として「生産」がある。

つまり、これから広がると予想される、いわゆる「生産格差」は、「富の格差」に直結するってこと。


やばくね?

レコメンドに従い続けるほど、生産格差の「下位」になっていき、はるか彼方の「上位」にはもう、勝てなくなる。


これ読んでるみんなは、「自分の商品を、システムにおすすめされる」側にまわろ。


これマジ。