コミュニケーションコストの恐怖って?

労働卒業のためにマイビジネスを築くとき、すごく注意しなきゃならねーのが「コミュニケーションコスト」だ。

これ、取り扱いを間違えると、かるく「数ヶ月」単位で時間を「浪費」する。

そんなハナシ。


ビジネスをやろうとすると、じぶんに無い能力が必要になるケースもきっとあるよね。

そのとき、他人を頼ろうとするのは、まぁ自然なことだ。


ただ、そのときかならず相手と「コミュニケーション」とらないといけない。

ここで発生するのが「コミュニケーションコスト」だ

なにがコスト?

時間と気力。

「なんだそんなことか。あたりまえじゃん」ってナメないほーがいい。

これらは、無意識でもガンガン削られる、にもかかわらずめちゃくちゃ重要な資源だ。

で、そのコストに見合う「能力の提供」を受けるのって、じつはケッコー難しい。


まだ、主従関係がしっかりしてるならいい。「上の言うことが絶対」と決まってて、それで破綻しない関係ならコミュニケーションコストは低い。

それか、お金さえ払えばキッチリ、仕事してくれる相手もまぁ大丈夫。ボッタクリさえ気をつければ。


コミュニケーションコストにかかわる問題がおきやすいのは「ともにビジネスをやろう」ってスタンスの「対等」な関係の場合だ。

だいたい、友達とか。まれに家族の場合も。

日常的なコミュニケーションがうまくいってるからこそ、その延長として「ともにビジネスをやろう」になりがちなんだけどさ。

日常的なコミュニケーションと、ビジネスにおけるコミュニケーションは、区別してし過ぎることはない。


それほど、ビジネスにおけるコミュニケーションの「摩擦」はハンパない。

どっちも本気でやってるならなおさら。


じぶんが「この手を打ちたい」って思ったときに、パートナーが「え?それやる?」みたいなカンジだったら、「先へ進む」のにめちゃくちゃ時間と気力がかかるんだ。

しかも、コミュニケーションコストをかけてもかけても「決まらない」ってケースも、多々ある。

そーすると、ビジネスが数ヶ月単位でとまったりすることはザラ。

で、だいたい、そのビジネスはたち消える。


なんのためにパートナーがいたのか、もはやわからないな。


だからこそ、なるべくビジネスは「ひとりで」できるとこまでやりきろう。

コレがだるさを極めし者が「マイビジネス」って言葉を多用する理由でもある。

ひとりの意思決定スピードは、複数人の意思決定スピードの数万倍だ(アタマわるそーでごめんw


労働卒業「後」には、いわゆる「拡大期」がおとずれるから、ひとりでやりきれなくなる場面も出てくるかもしれないけど、少なくとも「労働卒業まで」のビジネスは「ひとりでやりきれる」ところまでで、作ろう。

どーしても他人の能力が必要なら、少なくとも「友達にちかい間柄」の者は避けて、依頼する。

ただ、やっぱできる限り「ひとり」で。

コミュニケーションコストをかけてまでつくるような商品は、労働卒業に向けたマイビジネスの特性には合わない。

何度も言うけど、コミュニケーションコストと向き合うのは労働卒業した後の話だ。


ビジネスは「先へ進む」のが最優先。

そこに「コミュニケーションコスト」という障害物があると、進むものも進まない。



これマジ。